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パソコンも、スマートフォンもない時代。大型計算機を動かすのに、紙のパンチカードを使っていた頃から、三戸邦郎氏は「計算で化学を解く」という世界に足を踏み入れていた。薬学部で数少ない大型計算機センターのユーザーの一人として出発し、やがて化学メーカーで計算科学の基盤づくりを担う。MI、AI、DX――旗印は次々と変わっていったが、半世紀のあいだ、その根っこを見続けてきた。
全3回の連載を通して伝えたいのは、AIの解説ではない。道具が何度変わっても、面白がって学び続けてきた一人の研究者がいる――その人が、いま何を考えているのか、という話である。第1回は、三戸氏がどこから来て、なぜ計算の世界に賭けたのかをたどる。
目次
<話し手プロフィール>
三戸 邦郎(さんのへ くにお)
薬学博士・薬剤師 / 元・三井化学株式会社 理事、元・株式会社三井化学分析センター 代表取締役社長
北海道大学薬学部を卒業後、同大学院薬学研究科にて有機化学・光化学を専攻し、1981年に博士課程を修了(薬学博士)。同年、三井東圧化学株式会社(現・三井化学株式会社)に入社。実験化学者として出発しながら、当時、国内ではまだ少なかった大型計算機センターのユーザーとして分子軌道法計算に取り組み、社内における計算科学の基盤づくりを主導。1999年にマテリアルサイエンス研究所 計算科学室長に就き、量子化学計算をはじめ流体解析や部材の構造解析などへ領域を広げた。その後、研究開発企画管理部長、理事・研究統括部長、理事・知的財産部長を歴任。2012年には株式会社三井化学分析センターの代表取締役社長に就任し、シミュレーションと分析・実験を融合させる視点で計算科学の社内浸透を牽引した。専門は有機化学・材料化学、計算化学(計算科学)・情報化学、薬学・創薬。
インタビュアー:三戸さんが計算科学と関わるようになったのは、ずいぶん早い時期だったと伺いました。どんなところから始まったのでしょう。
三戸氏:私はもともと、大学に入ったときには、物理や数学をすごく勉強したかったんです。ただ、いろいろあって、化学のなかでも生物寄りの領域――生体に対する化学的なアプローチが面白いなと思って、薬学部に進みました。実際にそこで勉強したのは化学で、有機化学のなかでも光化学。光のエネルギーを与えることで、フラスコのなかで熱で起こる反応とは違う現象が起きる。その世界をやっていたんです。
ちょうど福井謙一先生がノーベル賞を取られた頃で、量子化学が注目される流れがありました。元々やりたかった物理や数学に、すごく近かったんですね。ただ、当時はパソコンもない、スマホもない時代です。大型計算機センターというものがあって、それを使う人は、薬学部でもほんの数人しかいなかった。分子軌道法の計算プログラムを、紙のパンチカードで書いて動かす。そういう時代でした。実験がメインなんだけれども、そういう計算も少しずつ勉強していた、というのが私の出発点です。
インタビュアー:薬学部から、化学メーカーに進まれます。
三戸氏:薬を作りたいなと思っていました。ただ、私はどちらかというと新しいもの好きで、大きな流れに乗るのが好きじゃない人間なんです。それで、当時、新たに製薬分野に取り組み始めていた化学会社に入りました。1981年のことです。
入社した頃、薬をどう設計していくべきか、理論も含めてずいぶん悩みました。酵素の鍵と鍵穴のモデルのようなものを、コンピューターを使って、あるいは設計でやろうという動きが、アメリカを中心に出てきていた時代です。ところが当時の現場では、とにかく作ってみなきゃ分からない、似たような化合物を作って当たるも八卦でやろう、という空気でした。私はそれが面白くなくてね。
それでも、生意気なことを言い続けていたら、『そんなに勉強したいなら、仲間と勉強会でもやったらいい』という雰囲気になってきた。ちょうど世の中も動き出していて、海外ではコンピューターを使ったシミュレーションをやっている、国内でもやろうという動きがある、と。研究室にパソコンが一台導入されて、その世話を誰がやるのかという話になったとき、『じゃあ、やります』と手を挙げたのが私だったんです。そこから、計算科学の基盤づくりに二十年関わっていくことになりました。
インタビュアー:その後、MIやAI、DXといった言葉が次々に出てきます。半世紀この分野を見てこられて、どう感じていますか。
三戸氏:いろいろな言葉が出てきて、新しい旗が振られる。私がやってきたことと一見違うようにも見えるんだけれども、かなり根っこは一緒かなと思っています。AIというのも出てきたとき、確かに素晴らしい。でも、AIも結果的には、データ次第なんですよ。
それこそ私が、構造と物性(活性)の相関を解析していた頃――その手法のなかに、遺伝的アルゴリズムやニューラルネットといったものがあった。AIと呼ばれる前から、みんな使っていたわけです。ディープラーニングのような技術の革新があって、それが今の世の中を作っているのは間違いありません。ただ、根っこはそんなに変わっていないように、私には感じられます。
企業は、新しいものを作って商品にする。そのためには旗を立てて、人を求心していく必要がある。MIが出てきたのも、アメリカが『材料・モノづくりで遅れを取るかもしれない』という危機感から大きな旗を振った。すると日本も慌ててついていく。そういう構図が、ずっと繰り返されているなと思うんです。
インタビュアー:その視点から見て、いま可能性を感じているのはどんなところですか。
三戸氏:AIで利用するデータは、どちらかというと成功例がメインなんですよ。公知の技術も、研究所のなかの情報も、基本的には『いい結果が出たもの』が形式知になっている。歴史もそうですよね。でも本当は、うまくいかなくて困ってきた人、悩んできた人がいっぱいいて、その経験知がたくさんある。それをどれだけ抱き込めるかで、AIの精度は大きく変わると思うんです。
そこで役立つのが研究者の経験知を記録した実験ノートなんです。実験ノートは、レポートを書くためだけのものじゃない。やった事実でいい。『こういう条件でやった』『こういう人間がやった』という情報を残せば、それはネガティブデータとして役に立つ。それをいかにデジタル化して、形式知に変える仕掛けを作るか。電子実験ノートのようなものが、もっとフレンドリーに使えるようになれば、皆が自分の経験知をどんどん積み上げていける。実は、私が昔から本当にやりたかったのは、そういうことなんですね。
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