IBLC Insights
インタビュー
インタビュー

東京大学を出て1984年に株式会社東芝へ。研究所3年、事業部13年で半導体パッケージの開発に携わり、2000年に渡米して米国Amkor Technologyへ。世界中の携帯電話に使われているPackage on Package(PoP)の量産化を率い、Amkor Technology Japan事業部長、米国本社FCBGA事業部長、J-Devices CTO、Amkor Technology Singapore Sr.VPを歴任。2024年に独立し、現在はアリゾナを拠点に日米の半導体産業をつなぐ独立コンサルタントとして活動する吉田章人氏。連載第1回は、彼の40年のキャリアの全体像と、現在の活動を伺います。
目次
<話し手プロフィール>
吉田 章人(よしだ あきと)
元 米国Amkor Technology, Inc. Senior Vice President/AZAY Partners LLC オーナー
1984年東京大学教養学部基礎科学科を卒業後、株式会社東芝に入社。ULSI研究所で1.0〜0.5μm世代のロジックLSIデバイスの設計・製品開発に従事した後、多摩川工場で半導体パッケージ(TAB/テープBGA/CSP/フリップチップBGA)の開発を主導。2000年に渡米し米国Amkor Technologyへ。Package on Package(PoP)の研究から量産化までを率い、PoPの携帯電話への普及に大きく貢献。Amkor Technology Japan事業部長、米国本社FCBGA事業部長、J-Devices CTO(500名超のエンジニアを統括)、Amkor Technology Singapore Senior Vice Presidentなどを歴任。2024年3月にAmkor Technologyを退社後、AZAY Partnersを立ち上げ、半導体パッケージングに関するコンサルタント業務に従事。アリゾナ州ギルバート在住。

大澤(IBLC): 本日はお時間をいただきありがとうございます。早速ですが、ご経歴をお伺いできればと思います。
吉田氏: よろしくお願いします。1984年に東芝に入社しまして、そこからずっと半導体一筋でやってまいりました。最初の3年間は研究所で、今「前工程」と呼ばれている半導体のウエハー工程に関わっていました。
大澤(IBLC): 研究所では何の研究を?
吉田氏: ULSI研究所で、1.0〜0.5μm世代のロジックLSIデバイスの設計・製品開発ですね。当時の最先端でした。ただ、研究所ではあったのですが、最終製品になるところまで見たいということで、事業部での技術開発を経験したいと申し出まして。3年後、1988年頃にその希望を叶えていただいて、事業部に行ったのですが――。
大澤(IBLC): 事業部異動は希望通りだったわけですよね。
吉田氏: ところが、です。前工程、ウエハーのところをやらせてもらえるのかなと思ったら、後工程、パッケージと呼ばれる方になりまして。希望は叶ったのですけれど全く違うエリアで、かなりショックを受けたのを覚えています。
大澤(IBLC): 希望されていたのは前工程の方だった、と。
吉田氏: そうです。ただ、パッケージといっても新しいパッケージを開発しながら、その製品を開発するといったことだったので、新しいことはやらせてもらえました。手がけたパッケージはTAB(ノートコンピュータ向け)、2層メタルのテープBGA(グラフィックサーバー向け)、はんだバンプチップ、CSP(デジタルビデオカメラ向け)など多岐にわたります。
大澤(IBLC): 次々に新しいパッケージが立ち上がる時代だったわけですね。
吉田氏: そうですね。徐々に面白くなってきました。
大澤(IBLC): そこから2000年に東芝を退社されてアメリカへ渡られていますが、その決断の背景を教えていただけますか。
吉田氏: 1999年から2000年にかけて、ちょうど半導体業界の景気が悪くなり、投資も絞っていくという話になりまして。設備投資はこれから前工程、ウエハー工程の方に集中し、後工程、パッケージングのところは、その頃水平分業化が流行り始めていたこともあり、外部に出して今でいうOSAT(Outsourced Semiconductor Assembly and Test)を使うようにする、という方針が会社から出ました。
大澤(IBLC): 後工程は外注へ、という方針が出たわけですね。
吉田氏: 私としてはそのパッケージの方が面白いのにということで、そこでパッケージの専業会社に移ると決意して転職しました。
大澤(IBLC): 移られた先がAmkor Technologyだったわけですね。
吉田氏: そうです。東芝の時に運よく海外の会社と共同のプロジェクトを組んで製品開発していましたので、海外の人との付き合いも増えていて、どうせ働くなら海外の大きなOSATを目指したいと思って探したところ、Amkorという世界2位(当時は世界1位)のOSATの会社から求人があり、そこに応募した形です。東芝の時に共同プロジェクトをやっていた知り合いもいたので、引っ張ってもらったというのもあります。Amkorの直接アメリカでの採用で、海外で働きたいという思いもあって飛び出しました。
大澤(IBLC): Amkorでは24年。当初はエンジニアとしての採用だったわけですよね。
吉田氏: そうですね。最初の12年くらいはエンジニアとして実際の製品開発をし、その後マネジメントに入ってからは、日本・アメリカ・日本・シンガポールと渡り歩きました。結局、アメリカに籍を置きながら日本に7年、シンガポールに3年といった形で過ごしました。
大澤(IBLC): Amkor Technology Japan の事業部長、米国本社のFCBGA事業部長、J-Devices CTO、Amkor Technology Singapore Sr.VP――歴任されたポジションを見ると、Amkorのさまざまなリージョンを経験されていますね。
吉田氏: そうですね。事業部長時代は、それぞれ300ミリオンドル超のビジネスをマネジメントしていました。J-DevicesではCTOとして500人超のエンジニアを統括し、すべてのパッケージング技術開発に関わりました。Amkor Singaporeでは、Strategic Planning R&Dの統括責任者として、Amkor全体の技術ロードマップ作成と展開に注力しました。最後の半年、2023年9月から2024年3月までは米国に戻ってBusiness Integrationを担当し、2024年に退社しました。
大澤(IBLC): Amkorを2024年に退社されて独立されていますが、今はどのようなお仕事をされていますか。
吉田氏: 技術コンサルティングをしておりまして、半導体関連の企業さんなど、色々と情報を知りたいという方々のサポートをしています。AZAY Partnersとして、米国の独立コンサルタントの形で活動しています。
大澤(IBLC): 拠点はアリゾナですよね。
吉田氏: 今、自分でやりたいことが、今までお世話になったアリゾナと日本の間をもう少しうまく繋ぎたい、ということです。ちょうどアリゾナで半導体関連産業がホットなので、いろいろな企業さんが興味を持たれていて、声をかけていただけています。サプライヤーさんなどが、今後パッケージはどうなっていくのか、どこのプレイヤーがどのような活動をしているのか、といった情報を知りたがっているクライアントが結構いらっしゃいますね。
大澤(IBLC): そこで色々お話を聞かれたり、アドバイスをされたり、というイメージですね。
吉田氏: そうですね。
[第2回を読む>]
お問い合わせはこちら
関連する記事
【素材の越境者|第2回/全2回】 「成功はほとんどありません」 ―― 越境研究者が語る、失敗と、前へ進んだ技術
「成功はほとんどありません」 ―― 越境研究者が語る、失敗と、数少ない前へ進んだ技術前編で華やか...
インタビュー
【素材の越境者|第1回/全2回】 半導体全盛期に、あえて素材を選んだ ―― 専門を越え続けた研究者の肖像
半導体全盛期に、あえて素材を選んだ ―― 専門を越え続けた研究者の肖像半導体が時代の主役だった1...
インタビュー
【モノづくりin silico|第3回/全3回】来年75歳。それでも、まだ学びたい
連載:モノづくりを変えるin silico ——計算科学の最前線で見えてきたこと紙のパンチカード...
インタビュー
© 2025 IBLC
© 2025 IBLC