専門家コラム

【015】持続可能性と技術

草野 裕志

いつの間にか“持続可能性”という言葉が頻繁に目につくようになってきている。私が学校で学んだ頃には全く使わなかった言葉であり、何となく“放っておけば消滅してしまう”ことを想起させる、多少不気味な言葉であると私には感じられる。持続可能性と言う言葉が広く認知されるようになったのは、僅か30年程前の1987年に「国連環境と開発に関する委員会」が出した報告書(Our Common Future)で、地球環境の有限さを警告する意味で使用されたのがきっかけと言うことである。

地球の人口は1950年には約25億人であったが、その50年後にはその2倍以上の60億人を超え、さらに今後も当面は増加を続け、2030年頃には80〜90億人に達するとの予測もある。人の数が増えれば当然食料の消費は増え、水などの資源やエネルギーの需要も増大することは容易に予測がつく。このまま進めば、はたして人類は地球上で平和に生き続けられるか、と多くの人が不安に感じるのはごく自然の感覚であり、これが“持続可能性”という言葉が広く受け入れられている背景にあると思われる。

最近では“持続可能性”は地球環境資源の有限性に由来する本来の意味の他にも、コミュニティーや企業の“持続可能性”や“持続可能な開発”などの使い方でも幅広く使用されている様である。

科学技術の分野に身を置く者としては産業技術の“持続可能性”も大いに気になるところである。新しい画期的な技術が実用化されようとする時、多くの周辺技術が必要となる。これらを如何に適切に提供できるかが、その新技術をより効果的に、迅速に、安価に提供できるかのポイントとなる。これらの関連技術は、いわば産業の発展を支える技術インフラともいえる。

これらの突如必要とされる技術をタイムリーに提供するために、重要なことの1つは、過去に開発された技術の再活用である。ある時期に非常に有用な技術でも、その代替技術が出現した場合や、社会のニーズが変化した時、実に突如消えさってしまうことは良くある。暫くすると、技術を開発した人や詳細を知る人が消散してしまうことも珍しくはない。これらの技術を必要とされるとき、再び活用したり、参考にできるように備えておくことは、“技術の持続性”の上からは極めて重要である。

そのような活動の1つとして、国立科学博物館では技術の歴史を未来に役立てることを目的に、日本で開発された世界に誇る産業技術に関して「技術の系統化研究」が毎年行われている。技術を個人に帰属させる傾向が強い国や地域もあると言われる中で、技術を系統的に整理し記録しておくことは、日本にとっては勿論、技術インフラが乏しい発展途上国などにとっても極めて有意義なことと思われる。

筆者も最近その活動に参加する機会を得た。私が担当したのは、「イオン交換樹脂技術の系統化」(下記参照)である。イオン交換樹脂は私が永年関係してきた技術であるが、改めて振り返ってみると、正に日本が世界に誇る、産業のインフラ技術の一つと言うことが出来る。ここでその詳細を説明する積りはないが、日本が抗生物質の生産で世界の先頭を切ってきたことや、半導体・液晶パネルで世界をリードしていたこと、砂糖の輸入国である日本で、清涼飲料用の異性化糖を中心に、甘味料の約1/3はトウモロコシから作られていることなどは、蓄積されたイオン交換樹脂技術の寄与があったからこそ、と言っても過言ではない。

国立科学博物館による技術の系統化では、昨年までに調査報告書が80編以上発行されている。また、よく知られた上野の科学博物館の他にも、様々な活動が行われており、その中に重要な科学技術史資料を、いわゆる「未来技術遺産」として指定して、伝承と保存を行う活動があり、2014年度までに184件が指定されている。しかしこれらは一堂に集められている訳ではない。日本に科学博物館は数多くあるが、技術の博物館は無いに等しく、将来的には“技術博物館”を作ることが期待されている。

今回、技術の系統化調査を通じて気の付いたことがある。 未来技術遺産として残す場合や、“技術博物館”に保管・展示する際には、その見栄えも非常に重要な要素となる。例えば、日本で最初に商業製造された機器製品の1号機が保管されていれば、人々の関心をそれなりに引くが、一般的な化学製品の場合、例えば、日本で最初に作られたイオン交換樹脂は、最初のロットの製品に特段の特徴がある訳ではなく、展示品としての魅力を欠く。“技術博物館”が出来ても展示に困る訳である。視覚に訴える展示品があれば、より伝承力は強くなると期待できる。化学の分野には、一般に化学反応製造装置を保存しておく文化・習慣は殆どないが、今後の対応として、例えば、最初の商業製品を製造した装置の一部、例えばパネルや計器とか、反応器、撹拌翼などの、そのプロセスの特徴を示す機器の一部を保管しておくというよう、将来への配慮が期待される。化学製品の開発に永年関わってきたものとして、大いに反省する処であり、これから研究や開発に携わる方には、将来の“技術の持続可能性”を見越した心づもりをして頂くことを是非期待したい。

さて、話を、本来の資源の持続可能性に戻すと、埋蔵地下資源に欠ける日本にとっては、誠に深刻な課題であるあるとともに、大きなチャンスと捉えるべきであると思われる。筆者は将来、万が一世界で食料やエネルギーを力で奪いあう状況が起こった時に、原子力発電は日本がエネルギー的に自立できる可能性がある有力な技術であると考えている。実は、イオン交換樹脂には海水ウランの回収、ウラン235の濃縮、原子炉冷却水の処理、発電用純水の処理、放射性廃棄物の処理等で、原子力発電に関連する多くの技術があり、原子力発電の展開に大きな貢献が期待できる。

しかし、近い将来、日本の原子力技術・産業が、世界のエネルギー市場で主導的な地位を占めようとしていた、正にその条件が整いかけたその時に、大惨事を経験した訳である。現在の、原子力発電に関する論争は、科学的とは言い難い、政治的や、心情的な考えが支配する状態となっていると感じられる。今後の方針は、最終的には選挙を通じた民意により決定されるが、民意は変遷し易いものである。科学に身を置く者としては、その時に備えた科学的な準備を常に怠らないようにしたものである。

持続可能なエネルギーに関しては、最近、急展開を見せている水素エネルギーにも、大きな期待が持てる。但し、石化原料由来の水素に頼る限り、持続可能とは言い難い。地球上にほぼ無尽蔵に存在する海水から、ほぼ無限の太陽光エネルギーを利用して、水の分解で得られた水素が実用的に使用出来るようになって初めて、真の持続可能性と言える。これを実現するためには、画期的な技術進歩と、非常に多くの関連技術の寄与が必要となるが、その時こそ、いよいよ、日本に蓄積されてきた産業技術の出番となる筈である。その際にはイオン交換技術も、各種の精製や分離の工程で、日本がエネルギー的に自立して、世界をリードできる、持続可能なエネルギー技術の一翼を担っていることを夢見ている。

2015年5月12日

参考:国立科学博物館産業技術史資料情報センター 「イオン交換樹脂技術の系統化調査」

著者:草野 裕志(くさの ひろし)
出身企業:日本錬水株式会社(現、三菱レイヨンアクア・ソリューションズ株式会社)
略歴:三菱化学 総合研究所、三菱化学アメリカ 副社長、三菱化学 イオン交換樹脂事業部長、日本錬水 常務、国立科学博物館 主任調査官
専門分野:機能性高分子、イオン交換樹脂、水処理・薬液処理
趣味:ゴルフ



*コラムの内容は専門家個人の意見であり、IBLCとしての見解ではありません

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