専門家コラム

【011】イノベーションを求めて

小粥 幹夫

周波数スペクトルとミリ波

大学卒業論文のテーマは平衡符号の理論と応用。銅線にデジタル信号を通す時、直流成分の無い信号に変換する方法、符号化と伝送を一体化する方式の研究。企業(古河電工)では一転して周波数の大きなミリ波。20代後半には米国滞在、直径40km相当の電波望遠鏡建設プロジェクトに参加、ミリ波導波管の土木工事から伝送品質の評価まで。1977年に帰国後は光ファイバの実用化に取り組む。私の技術バックグランドは電波と光である。

全反射から光ファイバへ

14世紀に水流への光の入口と出口が離れていることから全反射が発見され、20世紀半ばに内視鏡に活用されるまでに。ノーベル受賞者Kao博士がシリカの利用を提案、1970年に1km通過後の光の強さ100分の1を食器メーカのコーニング社が実証。人工の光を発するレーザダイオードもこの年発明され、光通信元年となる。それから20年、1990年代には光ファイバは大陸間を海底で結んで衛星に交代、2000年代には家庭での高速インターネット接続を可能とし、通信形体を一新、情報革命によって産業や社会は一変した。

日本の貢献と早期実用化

理論的損失値の低い材料は他にもある中で、シリカを提案したKao氏は、英国の通信会社のシステムエンジニアで、光ファイバ技術開発に直接携わってはいない。1970年のコーニング社による20db/kmによって実用化可能性が示され、Bell研究所を含む世界の通信会社の研究所が戦略的に研究開発に取り組むことになった。NTTを中心とした日本連合も東洋の魔術とも形容された1本のバーナーで屈折率を制御、不純物を完全に除去する独自のVAD法を1980年代には実用化させ、短期間で世界のリーダーにもなった。これらの成功の陰に、Si半導体結晶合成の為のガスの高純度化があったことを忘れてならない。

共同研究で競争の旧モデル

この原動力の検証は、今後のイノベーション推進、戦略開発立案にとっても重要である。米国のAT&Tが運営会社であると同時に、通信機器やケーブルの製造会社であったのに対し、電電公社は機材調達を切り離し運営に徹し、基礎研究に注力して製造は外部の力に託した。キーとなる資材供給メーカとの随意契約、共同研究開発の体制の下で複数社を切磋琢磨、競争させた。素材を銅とするケーブルメーカーは、数値目標となる高シェアを求めて、未知材料のシリカの合成に資源集中、貢献の大きさを競った。

大事件の克服と基本

光ファイバ導入で世界先端を走り、列島縦貫網建設を開始して間もなく、敷設ケーブルの損失が経時劣化する大事件が見つかった。被覆材料から発生した水素が、天然シリカに含まれるアルカリ不純物の形成する欠陥に結合して光を吸収するメカニズムを理解するのに1年余要したが、全合成での超低コスト実現の引き金になる。事業の基盤となる素材について原子分子レベルまで理解すること、基本と歴史に学ぶことの重要性を教えてくれた。

光ファイバのもたらすイノベーション

マルチモードからシングルモードへ移行、1300から1550nmへの波長シフト、分散制御による広帯域化の設計変更、更には光ファイバ増幅による波長多重WDMで伝送容量はメガからテラへと6ケタ以上増大。電子交換機はルーターに置き換えられ、固定ルート(回線)を通っていた信号は、インターネットプロトコルにより空いた経路を自ら選んで目的地に達し、画像の伝送も容易にした。超多重大容量で大陸間横断、情報センターから加入者までの接続。光増幅を含むこれらの成果はいずれ2つ目のノーベル賞の対象となるであろう。

成長開放市場での事業拡大

光ファイバの本格的導入期の1988年に電電公社は民営化してNTTとなり、共同研究パートナー公募の仕組みに変更された。こうした新しい仕組みの下で、光ファイバの監視保守、光増幅を活用した映像分配がテーマとなり、シングルモードファイバの受動部品の需要が増大。さらに開発製造一貫体制構築により3年間でLEDとPDの事業化、光増幅励起LDの世界市場の70%以上のシェア獲得、光ファイバ増幅器を含む伝送機器参入。 こうして銅を素材とする古河電工は、新材料シリカに加えて、光半導体などを素材とするデバイス、光ファイバ部品に事業拡大、北米拠点の部品メーカー、ATTから分離したLucentの光ファイバ事業なども買収、21世紀初頭にはグローバルな事業展開をするに至った。

新しいイノベーション?

2004年以降、社会人博士課程での創造性の研究、関連学会の仲間との交流、東北大学特任教授としての高校教員との繋がり、更には大震災を通して科学技術の限界も痛感、現在は年金生活の中でMOTや情報技術の基本に戻り、物の豊かさに代わる心の豊かさ、人材育成を模索している。 株式相場は14年振りに最高を記録したにも拘らず、37年勤務した会社の株価の低迷を見ながら、携わってきた光技術を振り返り、改めてイノベーションについて考えてもいる。 ICTが創り出した知識基盤社会では、従来モデルにこだわらないシステムデザインが必要であり、シニアの力を活用した新規事業、SNSの活用、人材育成など広い視点から経営戦略について、IBLCを通してお手伝いができればと考えている。

2015年3月3日

著者:小粥 幹夫(おがい みきお)
出身企業:古河電気工業株式会社
略歴:東北大学 特任教授
所属:電子情報通信学会、研究技術計画学会、日本創造学会会員
資格:文科省博士教育リーディングプログラム情報系プログラムオフィサー
活動:電子情報通信学会で高校生啓発活動



*コラムの内容は専門家個人の意見であり、IBLCとしての見解ではありません

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